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私の好きなこの街復興支援プロジェクト
被災地で頑張る皆さん
この写真は、プロジェクト開始のきっかけとなった 陸前高田市、かつての7万本あった高田松原です。
2015年8月の被災地 実況動画
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「おらぁこごがいい」の原詩者熊谷千洋氏とタクミ印刷の皆さん
被災の年、現地初コンサートで「心に響く歌を」と探していた時、「タクミ印刷」発行の写真集の中にその詩がありました。それが社長さんの熊谷千洋氏が書かれた「おらぁこごがいい」の詩でした。故郷への愛に満ちたこの詩に是非とも曲を付けたいと電話でお話したのが最初でした。東北(気仙)弁のやさしいイントネーションを大切にしたいと、電話口で読んでいただき、村嶋が曲を付けやすいように2番に編詞、檀はまたたく間に書き上げたのがこの歌でした。それでも11月コンサートの目前、ピアノ編曲の山下和子さんとは本番で初めての合わせの出来たてホヤホヤ作品となりました。でも観客の皆様は檀のそのソロの歌声に、涙を流して感動をしてくださったのでした。やはり故郷がどんなに姿がかわっても「やっぱおらぉこごがいいっ!!」に心から共感されたのだと思います。
この詩のように「タクミ印刷」さんは、津波で建物を流されても地元で小さな仮設で仕事をされ、今はその向かいにもっと大きな事務所を構えてがんばっていおられます。あちらに行くたびに「歌への感謝」のご挨拶にいきます。現地で高田音頭の盆踊り付きで踊ってくれていること、大阪のうたごえ祭典で楽譜にもなり男声合同で歌われたこと、などの報告に熊谷さんはいつも笑顔で喜んでくださいます。
私たちは歌を通しての応援ですが、地元産業の発展を祈らずにはいられません。
ちなみに現地での「第一回」・「第二回」コンサートのチラシ・ポスターはタクミさんにお願いしました。デザイナーの高橋さん奥様、皆様お世話になりましたっ!!
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『
ホテル三陽
』の皆さん
被災直後から今年も一家で仲良く頑張り続ける「三陽」の家族の皆さん!!
2012年7月26日 2013年8月1月
改装前の「ホテル三陽」ロビー 改装後の同じくロビーにて
陸前高田市の海辺で唯一被災を逃れた「ホテル」です。ここは陸前高田市気仙町福伏にあり、このすぐ南は宮城県の気仙沼市、津波は真下の海まで這い上がってきたそうです。
幸い全員無事だった家族一緒に力を合わせ、直後は「避難住民」の皆さんのお世話をされ、営業再開してからは各地からのボランティアたちの数少ない宿泊所としてがんばってこられました。私たちも被災の年、初めて陸前高田での宿泊に利用し、11月の初公演時に、関西32名の仲間とほぼ全館貸切状態で宿泊させてもらいました。
昨年は数か月ほど休館して全面改装、2013年1月にとっても綺麗に便利になって営業を再開されています。家族経営での新鮮な魚介類の手作り料理もおいしいです。
最近は復興工事のための建設関係で滞在の方たちも多く、その人たちは私たちが朝食を取る時間にはもう仕事にでかけられています。ということは、三陽の従業員の皆さんはどんなに早起きをされているのかと思います。どうか皆さん、お元気でがんばられてください。
一昨年、このロビーでこのご家族の皆さんに、創りたての「おらぁこごがいい」を檀美知生が歌の披露をした時、涙を流して喜んでくださったこと、忘れません。
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『気仙大工左官伝承館』の皆さん
荒野と化した陸前高田の街に、こんな素晴らしい文化財があるとは夢にも思いませんでした。ここは「箱根山」というこの街を見下ろす山の中腹にある「古民家の博物館」。
「市民の森」という街の子どもたちに残された遊び場もある所、そしてここで3度も子どもたちと「公演」をさせていただいた大事な会場です!!私たちの活動とは切っても切れない場所であることは、「活動報告」(リンク)をご覧くださればよくわかります。
そんなこともあって、いつお訪ねしても、ここの金澤館長、佐藤会長他、従業員の皆さんは、いつも笑顔一杯で歓迎してくださいます。子どもたちに、館長さんが「私も芸ができます!」と見せてくださったのがなんと<逆立ち>、子どもたちと笑ってしまったなぁ!
この古民家の床の間に『気仙大工左官伝承館の歌』(村嶋由紀子詩 春山和楸 筆)の歌詞が飾られ、事務所では檀美知生のCDの歌声をず~っと流してくださってるとのこと、嬉しい限りですっ!!昨年植えた桜の木がどれだけ大きくなるのか、子どもたちの成長と共に、楽しみにしています!!
2012年8月14日 2012年11月4日
53名の仲間と献歌 「希望の灯り」を前に館長さんと
AKMYとおばぁちゃん、村嶋
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『第一中学仮設住宅』の皆さん
2012年1月17日 2012年5月16日
第一中学校仮設集会所にて 同集会所にて
いついっても、たくさんの仮設の皆さんが集まってくださる「お茶っ子歌う会」!!
ここの皆さんとは、被災の年の11月、第一中学校の公演(活動報告とリンク)での出会いから、付き合っていただいています。この仮設で定期的に『踊りの会』ができてからは、私たちの公演のステージにも出てもらい、一緒に楽しく「おらぁこごがいい」を高田音頭で踊ったりしていただきました。
もう13回になる訪問の度に訪ねさせてもらい、毎回、気軽に集まってくださり、一緒に「お茶っこ」したり、歌ったり、踊ったり、そして楽しいお話をしたりの、まるで旧知のお友だちのように接してくださいます。
皆さん、不便な仮設暮らしの中、また先の不安も抱えていらっしゃる中でも、少しでも毎日を明るく生きてゆこうとする庶民の逞しさを感じます。そして音楽や踊りなどの文化がどれほど心の励ましになるものかも感じます。またいつかステージを同じくできたらと思っています。どうか皆さん、肩寄せ合い励まし合いながら、復興住宅入居まで頑張り続けてください。また、よろしく!!
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カフェ・レストラン「う・ふ・ふ」のママさん
被災の年、いち早く被災地近くの竹駒町に仮設店舗を構えたのが「う・ふ・ふ」さんでした。被災前市内にあったお店3軒をすべて流されても、心意気でこのカフェを作られ、おまけにその隣にこれまた仮設のスナックまで建てられたママさん!!朝から厨房に立ち、夜はお隣りで働くというパワーの持ち主。
被災の年、私たちの11月公演を実施した時、「打ち上げ」をこのお店でやることが出来た時は、ほんとに嬉しかったなぁ!!そしてさらに翌年夏の公演後にもは今度は40名以上で「打ち上げ」を引き受けてくれたんですよっ、お店から溢れ出るほどでもがんばってくださいました!!どうか、働きすぎでお体を壊されないように気を付けて!!
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千田(ちだ)礼子さん
陸前高田での昨年夏の公演に観客として来られ、「感動の感想文」をくださったのが始まりでした。何回かのお手紙でのやりとりで、今年の夏の訪問時に、少しの時間ではありましたが、初めてお話することができました。下の写真はその時、見せてくださった「被災時の自宅の写真」です。
千田さんの小友町にあったお家に「津波が押し寄せた所」を逃げながら、ご主人が撮ったのだそうです。屋根だけでもわかるように旧家の立派な造りのお屋敷でした。
高台にあったので、まさかそこまで津波がくるとは思わなかったそうです。ご主人は津波を背後に感じながら車で自宅に上ってきて、危機一髪で難を逃れたそうです。乗り捨てた愛車の、流された無残な姿も映っています。またあとで津波の残した壁のあとを測定したら「海抜13・50メートル」のところまで来ていたとの話に、びっくりしました。
千田さんご一家は、小友町の仮設に暮らされています。でもこの立派なお家に再び住みたいと、一階は全滅しましたがそれを修理しておられるとのこと。お兄さんも「気仙大工」さんだそうで、その腕が今、ご自宅に発揮されていることでしょう。改築のあかつきには、是非、拝見したいと願っています。どうか、皆さん、がんばってください。
大津波に飲まれた千田さんのお家と 津波が引いた後にくっきり残る水かさ
ご主人が乗っていた車 海抜13メートル半もの所だった・・・
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