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活動報告report


 第十八章 雪と吹雪の被災地で復興3周年の祈り!!
 
(左)3月8日小雪舞う熊谷家前・かのんちゃんと
(右)3月11日14時46分 陸前高田・希望の灯りでの黙祷

1.な、なんとインフルエンザの猛威の中の被災地の子どもたち!!

 あの感動的な1月12日関西公演から2か月、その余韻も冷めやらぬ中での15回目訪問です。
今回は、自車で<名古屋―仙台のフェリー>で経費節減を日程でカバーし3月5日から13日まで、 全9日間の長い旅程を組み、子どもたちとの意気揚々の再会を夢見て、檀と村嶋は旅立ちました。
 が、吹雪く積雪の仙台に降り立った時から、その考えを戒める旅の始まりとなりました。自車での慣れない雪道での旅が第一のピンチを予測させました。それでも次の日、天が見守ってくれたかのような晴れに、それっと車は一路、陸前高田へと走らせました。が第二のピンチはその車中で。
 「今そちらに向かっていますっ!!」と、子どもたちのそれぞれの家に電話をかけると、「あかりちゃんが病院へいってインフルエンザと診断された。」との返事、ええっ、うそっ、大変だ!!あかりちゃんは双子のおねぇちゃん、狭い8人の仮設暮らしで5人が子どもたち、しかも陸前高田の小学校ではインフルエンザの大流行中、当然他の子どもたちに移っているかも?!その心配は次の日に的中、お兄ちゃんのみつほ君もインフルエンザに罹ったとのこと。子どもたちと会えない、集まることができないは、私たちに大打撃です。
 陸前高田の宿泊所の「ホテル三陽」で、2人は頭を抱え、ど~すりゃいいかと考え込みました。 第一の雪対策は、<スノーチェーン>を用意していたので、それを装着して絶対事故らないよう、檀の運転技術の技で切り抜ける。実際、チェーンの装着はかなり手間がかかりましたが、それでも子どもたちを乗せての夜の雪道も、無事故で切り抜けることができました。
 でもそれ以上の問題は子どもたち、いくら練習や公演がなくても、「奇跡の花学園が開校できない」。むむむ・・・、こうなったらタコ足作戦で「開校」していくしかない。とにかく、会える時に子どもたちとの家を往復して会う。インフルエンザの子どもたちにも厳重マスクで会う。元気な子どもたちは家から隔離してどこかへ連れていく。「ともかく会い、遊びまくり作戦」を立てたのでした。貴重な再会の時間を、子どもたちの宿題もみる、塾の送り迎えもする、手芸とかトランプとかして遊ぶ、カラオケもする、外食もする、そして一緒にお風呂も入っちゃう、などの努力と楽しさ満載の時を過ごす、でした。
 おかげで子どもたちとは、7日の午後から9日までの、たった2日半間しかなかったのに、雪道を往復するえら~く忙しい日々となりました。
 この中で大事な「慰霊祭」も、松田家の大人2人と私たちに加えてかのん・ほのみちゃんの子どもたちも神妙に参加、献花も皆で捧げ、亡くなったご家族の御霊にお祈りをすることができました。
 また今回、とっても楽しかったのは、かのん・ほのみと美佐子おばぁ様との5人で「南リアス三陸鉄道」に乗車できたことでした。被災の海岸線に沿って「三陸鉄道」は分断破壊されていたのですが、南と北でそれぞれに修復。「北」はドラマあまちゃんで有名になりましたが、私たちは「南」に乗車。
 大船渡の盛(さかり)駅から片道30分を往復する車中、元気な子どもたちは大はしゃぎ、美佐子おばぁ様も以前から乗りたかったと大満足の時間となりました。
 
(左)3月9日南リアス三陸鉄道に5人で乗車  (右)停車中 左から村嶋・ほのみ・かのん・美佐子・檀

 さて、このタコ足作戦で、「7月公演で『奇跡の街』を再びやる。」と個々に全員と話ができ、次への目標にすることができました。大変ながらこの大奮闘は成功だったと結論づけをしました!!
 それにしても3年目でもまだ被災地、外食の場所も限られ、雪道をひやひやしながら車を走らせなければなりませんでした。子どもたちが「関西で外食しょうっ」といっていたことがとても切なく感じました。どれだけ、あの関西旅行が楽しかったかを感じ取るには十分な言葉でした。
 
(左)マスク軍団でもやっと会えた熊谷家にて  (右)村嶋・ゆきな・かのん・みのりちゃん・檀と外食  

2.身も心も切る寒さの中での<被災3周年の今>!!

 さてその3日間の翌日、10日(月)は、もう恒例となっている「第一中学校仮設集会所」での「お茶っこの会」でした。仮設の方々とは馴染みになって一声で集まってくださる素晴らしさです。 この日も20名ほどの、中心はやはり<踊りの会>の皆さん、指導の及川きよ子先生、また被災地に花を植え続けている<希望の花>の会の鈴木勝井さんも、参加くださいました。
 内容は「関西招待公演報告会」。1・12公演の「TBSニュース」と実際の『奇跡の街』のビデオを観ていただきました。でも実はビデオを観ていただくには、少し覚悟がいりました。 『奇跡の街』は、大震災が遠い記憶になりつつある関西の観客のために書き下ろした作品だったからです。被災地の皆さんには「大津波」や「亡くなった家族の話を語り継ぐこと」などは被災地の方々には、記憶がまだ生々しい中なのでむしろ避けたい話なのでは、と心配したからでした。
 さてDVD放映が始まりました。でもなんと反応のいいこと!!子どもが出てきても歌ってもセリフをいっても、また大人の演技や歌にも大拍手です。笑顔で見終わった皆さんに、すぐ率直な感想を求めました。すると「ええんじゃないかね」「とってもえかったよ」「もっと全市の皆さんに観てもらえたらええのに」などなど笑顔と拍手での本気の返答に、私たちの7月公演への確信は深まりました。
 それならばと、<踊りの会>に7月公演への出演を依頼、テープに吹き込んでいた「トラジ」で踊っていただいたり、「おらぁこごがいい」の総踊りをしたりと大盛り上がりとなりました。「これで目標ができたっ、元気で生きていなきゃなんべぇなぁ!!」との皆さんの言葉で、これは「約束」になってしまったとの思いを持ちました。
 
(左)3月10日 第一中仮設での「お茶っ子」の会  (右)3月11日希望の灯りにて藤原直美氏と檀

 その翌日の3月11日(火)「気仙大工左官伝承館」の「希望の灯り」での黙祷の儀式にも、2人は参加しました。神戸「希望の灯り」分灯に尽力された俳優の堀内正美氏が司会、式典が進められました。地元の方やマスコミの皆さんが約50名ほど集まられていました。北上から「鬼剣舞」の舞の奉納もあり、身を切るような寒さの中にも「あの日」亡くなられた方々を痛む思いに溢れたとてもいい儀式でした。「14時46分」黙祷には、私たちも「忘れない」の決意を新たにしました。
 その中で地元で被災直後から復興に頑張り続けられている藤原直美氏とお出会いすることができ、お話を聞くことができました。最も印象に残った言葉は、「ここ3年目になって、街の人々からどんどん笑顔がなくなっている。歩いている皆さんも沈んだ表情でいることが多い。」ということでした。
 1年目は「命があったことだけでも」と気を張って過ごし、2年目は少し落ち着き、復興への希望を見出していたが、3年目は先の見えぬ復興事業に疲れが加速して体調を崩す人が出ている。 これこそが、関西に伝えねばならないことなのだと、思いました。 
 被災地の様子は、下の動画にあるようにがらんどうの荒れ地にたくさんの重機が入り、海岸線沿いの土地整備に動きがやっと出ているようでした。ぬかるんだ信号機のない道を、車が頻繁に土ぼこりをあげて通っていました。やっと動き出した遅すぎる街づくりに、その間に「あきらめた人たち」が街から離れていくことを思いました。陸前高田市でも被災前からみて2割もの人たちが人口減少したと聞きました。かのんちゃんの4学年も入学当時3クラスが2クラス、小1のほのみちゃんたちは1クラスだそうです。この春も転出生が出る、「テラテラ鳥」をやってくれた、りこ、あこちゃんも・・・。
 でも残った皆さんは決してあきらめたくないと思ってがんばっていらっしゃる。だからこそ、全国の支援の声は小さくなってはいけない、と、改めて思うのです。
 子どもたちの「関西は楽しかったッ!!」が自分の街に感じられるように、子どもたち自身に生きる力を湧き立たせていけるようにしたい、仮設の皆さんが「頑張って生きよう」と思われるように、応援しつづけねばと思いました。

3.2014年の私たちは何を見詰めていくのか?!

 2014年度、「奇跡の街合唱団」そしてプロジェクト参加の皆さん、この被災地3年目を目の当たりにして、私たちは帰ってきたように思います。行政の冷たさや苦難の人々を救済するしくみがないことへの腹立たしさ、私たち自身の生活や災害への不安も強く感じました。
 ただ、「一筋縄ではいかない現実」もまた直視してなお、自分たちのできること、自分たちにしかできないことをしようという気持ちもまた溢れてきています。この流れに巻き込まれて手をこまねいて、私たちができることさえやらないということはできません。何故なら、私たちはあの子どもたちとあの東北の人たちと出会ってしまったからです。そこで毎日を懸命に生きようとしている苦難の人たちの存在を知ってしまったからです。そしてその姿は遠い昔の私たちの被災の日々の姿でもあるのです。今、やはり東日本大震災の4年目と阪神淡路大震災の20年目は、時と場所を隔てても結び付け、何かを後世に伝えていくことができるのではないかという気持ちはよりはっきりしています。
 コーラスミュージカル「光る風の街」は、2つの震災の記憶を結びつけ、力強く明日に向かって生きようとする関西の人々の物語です。それは私たち自身の物語でもあるのです。1年かかって共に同じステージに生きることで、私たちの未来を見詰めたいと思うのです。どうか、たくさんの皆さんのご参加をお待ちしています!!

 それからリポート最後になりますが、今回の旅の前に「毎日新聞・阪神支局」の藤記者が<奇跡の花合唱団募集記事>のために取材にきてくださいました。また向こうでは「毎日新聞・大阪支局」の後藤記者が<3年目のかのんちゃんと私たち>を取材、さらにはTBSテレビが<7月公演のための準備>取材に同行してくださいました。私たちの活動が話題性のあるものとして認めていただけているものと改めて感謝しています。いいニュースにしてくださいねっ!!



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