第三十一章 真の支援の意味を教えてくれた
「中村哲医師講演会」の取り組み!!
2016年8月21日(日)芦屋ルナホール、念願の<平和と復興の祈りの歌と中村哲医師講演会>開催
1.2年の念願の月日を経て、遂に開催!!
私たちの歌と組み合わせた「中村哲医師講演会」の企画は、檀・村嶋の2年越しの念願だった。
檀・村嶋と中村氏の福高17回生同窓会での出会いは2014年秋、東北支援を本格化する中、とても印象深いものだった。
私たちは、東北の被災地で震災遺児との細い糸をたぐって、支援訪問を重ねていた。
今でもむろんそうだが、私たちなりの努力や勇気、支援を続けるエネルギーを必要としていた。
そんな折の中村哲氏の、アフガニスタンに緑の大地をよみがえらせた話に、どれほどの勇気を頂いたことだろう。
さらに中村氏から「私でお役に立つことがあれば」と私たちの支援活動へ励ましの言葉も頂いた。
その瞬間、「この中村さんを招いての講演会を持ちたい。」の思いが私たちに宿った。
それから2年の間、2015年1月には「阪神淡路大震災復興20周年記念公演」、2016年4月に「雪の女王」公演を経て、東北の子どもたちを中学に送り出すことができた。
一区切りとなったこの時期、これ以上は待つことができないと「中村哲講演会」の実施を決意、中村氏の日本在住日程に合わせ講演会の交渉をした。その結果、「雪の女王」大公演終了4か月後の、8月21日と定まった。この短時間での取り組みは、私たちにさらなる決意を必要とさせるものであった。
2.チケット売りの苦戦予想と意外な展開!!
取り組みの一番の懸念は、チケット売りだった。
「雪の女王」終了後からわずか数か月、しかもコンサートでなく、「講演会」の企画。果たして音楽団体である私たちのファン層が支持してくれるだろうか?
やはり6月ごろまでは、今までの方々からチケットを求めてくださる方もいらっしゃったが、団員たちの販売はなかなか伸びない。
従来の音楽愛好の層から、別の層へ食い込まねばと、檀・村嶋でいろんな集会に出かけることにした。
「避難者訴訟集会」はむろんのこと、「医療生協」「九条の会」など社会派の集団に働きかけを強めた。
また、福高同窓会、近畿修猷館、神戸早稲田倶楽部、IBM親鴨会などの同窓会組織への訴えとメールなど可能性のある所にはすべて働きかけた。
でも時は「参議院選挙前」で、情勢も何かと落ち着かない。
早くから「改憲派3分の2」のマスコミ報道だったし、結果もその通りとなった。
中村哲医師は、アフガニスタンで日本人が信用を得て活動できているのは、「戦争をしない憲法9条がある国だから」と述べられている、真の平和主義の方だ。
この情勢の中で、ガラガラの会場に中村医師をお迎えすることになっては、本当に申し訳ない。
いや、こんな情勢だからこそ、「平和を愛する皆さん」に中村氏の話を聞いてもらいたい。
双方が元気になる講演会にしなければと、チケット売りヘの思いが募った。
そんな中、転機は「平和美術展」のオープニングセレモニーで、檀美知生が、戦没画学生慰霊美術館「無言館」の歌をお届けできるチャンスを得た時からだった。
村嶋から「講演会」の訴えの話もでき、この日だけで10枚以上のチケットを購入してもらうことができた。
これを確信に団員にも協力を訴えた。
さらには、「ペシャワール会員」の皆さんからの申込みがとても印象的だった。
阪神間在住はむろんのこと、近畿一円、広島や神奈川などの遠隔地から、「会報を見た」との申し込みが毎日数件ずつ続いた。
そしてこれまで初めてのチラシ1万6千枚での宣伝も功を奏したのだろうか、「中村哲医師の偉業」のなせる業か、7月末から8月はじめには、申し込み電話が毎日のように鳴り響いた。
そして講演会の1週間前には、団員にはこれ以上の販売はしないようにと、かかってくる電話には「当日券でお越しください」との調整をせねばならない、嬉しい状況となった。
そして当日、ルナホール700席はびっちりの観客で満たされた。
溢れ出させることもない、満席の観客を目にした時、ようやく安堵の感が胸に溢れた。
3.そして登場の中村哲医師の圧巻の存在感と感動の話!!
「アフガニスタンに生命の水を、国際協力の32年」を映像と共に語る中村哲氏
「お待ちかね 中村哲医師のご登壇です!!」の声に、割れんばかりの拍手の中、演台の前に中村氏。
中村氏ご自身の体格はそう大きい方ではない、でも何しろ大きく見える。
話のスケールが大きい、世界観が大きい。医師でありながら用水路事業に取り組んでいった経緯を、映し出されるアフガニスタンの過去の映像と共に語られる。「貧困病」であるハンセン病治療一つとっても、その解決には日本では長い差別との闘いを経なければならなかった病である。なのに「きれいな水さえあれば」の課題にまっすぐに辿り着く。そこには何の偏見もない。またその水を得るための「井戸掘り」も、硬い岩盤との闘いに並大抵ではなかったろうに、気負うことなく「1600本の完成」と話される。さらには大干ばつに直面して、「灌漑工事」を敢行、しかも米軍の空爆の中も掘り進める。
そして1万6千haの緑の大地をそこに生み出す!!
実り豊かな田畑へ変身の、圧巻の映像に、会場から驚愕の歓声が響き渡る。
それを中村医師は、しっかりとした、でも静かな語り口で語られる。
私たちは包み込まれるような心地よさを覚えてしまう。
質疑応答でも、質問した人以上の答えで、会場は満足の拍手の連続となった。
Q「今の政権についてどう思われますか?」
A「そう長くはないでしょう。」
Q「アフガニスタンの女性の権利は?」
A「答えを急ぐことはない。家の中では女性は力を持っている。大切なのは気立てのよい男性の存在」
などなど、ユーモアの中に本質を突いた鋭い視点での答え。
そうなんだ、私たちは急ぎすぎている、大地と共に、不必要な欲をもたず、そこに根付いている人々の真の要求を良く見つめて、共に歩きなさい。そういわれているように思えた。
4.歌で盛り上げた効果満点の「第一部」!!
組曲「無言館」を奇跡の街合唱団と、檀美知生独唱で、平和の心を熱唱!!
初司会で活躍の子どもたちと共に、東北支援の「いつだってスタートライン」「がんばってらサンバ」
今回は、「第一部」で「平和と復興の祈りの歌」は、中村哲医師の話を支える側に回った。
そして「講演会」を盛り上げる十分な力を発揮することができた。
アンケートには、「講演会」と同じだけの感動の評価をくださる方々も多くいた。(アンケートサマリー参照)
私たちの歌の支援活動の確信となることであった。
組曲「無言館」、檀美知生の独唱と奇跡の街合唱団の合唱で3曲。
この日の檀美知生の歌声は安定力・響き共に十分な、平和の心をよく表した歌声を披露することができた。
また合唱も、歌いごたえのある「無言館」を実質3か月の練習で、暗譜で伸びやかに歌い上げる実力を披露できた。
そして続く東北支援の歌を子ども団員も共に、元気な明るい歌声で響かせた。
何より注目は初チャレンジした子どもたちの初司会、会場を和ませる可愛らしいしぐさや声に、どっと笑い声が響き、効果満点だった。
子供たちの「雪の女王」時より成長を見せたことは、何より嬉しいことだった。
第一部の歌での盛り上げと中村哲医師の感動の講演後の会場は、高揚感のある優しい心で包まれた。
その中、避難者を代表して森松明希子さんが、明暁君と明愛ちゃんのお子さんを脇に、放射能汚染から避難の権利を訴えられた。
日本が抱えている深刻かつ身近な問題として、人々の胸に深く入っていった。
森松明希子さんの避難の権利の訴え 好評を博した避難者支援ソング「あなたへ」
5.飛ぶように売れた書籍、多額のカンパに、広がりと連帯!!
この高揚感と感動で満たされた、「中村哲医師ファン」と「私たちのファン」の700名は、最後ロビーでの
書籍販売所とカンパ箱にまっすぐに向かってくれた。
特に、「熊本・阿蘇支援」のカンパ箱に、次々いれられるお札やコインの重みは、本当に嬉しいものだった。
ペシャワール会からの報告で、
書籍73冊-135,300円、DVD予約38件-114,000円、当日カンパ金 72,714円
コスモス会寄付金-100,000円、私たちからの講演料・交通費・寄付金-400,000円、
合計 822,014円
ちなみに、この日、安藤忠雄文化財団賞 1,000,000円 が、中村氏に贈られた。
そして私たちの「熊本阿蘇支援金箱」にも多額の募金と、コスモス会からプロジェクトにも10万円を頂き、以前の福岡高校の有志の皆さんからを合わせて、300,000円の支援金とすることができたのだった!!
私たちのお金は、企業や組織からの献金・寄付は一切なく、市民の皆さん一人ひとりからの浄財。
それがたくさん頂けたことは、どれほどたくさんの善意と広がりの取り組みであったかと思う。
アフガニスタンという国際的な地域での壮大な内容の話を、近畿一円のみならず全国から駆けつけてくださった皆さん、私たちとは初めての面識の皆さんに支えられたことなど、取り組みの大きな広がりを感じた。
これだけの取り組みができたこと、何より中村哲医師、ペシャワール会の皆さん、それを支持するたくさんの皆さんに感謝したいと思います、ありがとうございました!!
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