第ニ十八章 厳冬に負けず、
陸前高田21回目の年末訪問!!
1.「ぼくらは生きる ここで 」の文字で迎えてくれた陸前高田!!
全国の皆様、2016年 明けましておめでとうございます!!
2015年12月25日から30日までの、檀・村嶋による陸前高田21回目訪問を無事終えることができましたことをここに報告させていただきます!!
さて、昨年夏の20回目訪問も猛暑とハードスケジュールで大変でしたが、今回はさらなる厳しさが予測される訪問となりました。私たちは関西で20日と23日に練習を終えてすぐの旅立ち、年を重ねた私たちの体力やいかに?! また諸事情で「練習は二日半」、その時間の中で「公演の見通し」を付ける練習をしなければならない、年の瀬迫る訪問となりました。
でもそんな不安はあるものの、彼女たちを「メイン子役」の公演に一路突き進んでいる私たちとしては、自分たちの体力を信じ、彼女たちのやる気を信じての旅立ちをしました。(ドラマのよう!!)
今回は初の年末訪問、凍結を恐れて内陸からの道を避け、南からの三陸道をレンタカーで陸前高田に入っていきました。いつも南からの道で目に入るのは遠くの<一本松>の海辺の景色。
その手前に津波被害で廃校になった<気仙中学校>の建物、陸前高田では保存建物の1つとなっていますので、この日も見えてきました。私たちが4年半前、初めてここを訪れた時、ガレキに埋もれたその姿に最も衝撃を受けた建物でした。そこの中学生は全員、無事避難して、1人も犠牲者を出さなかった事実(だからこそ、保存の建物となった)を後日に知り、ほっとしたものでした。
今回その建物に大きくかかった垂れ幕、そして刻まれた文字も目に入ってきたのでした!!
「ぼくらは生きる ここで このふるさとで 陸前高田市立気仙中学校 生徒会」
2015年12月、最新の気仙中学校 2011年被災直後の気仙中学校
中学生の決意の、あの「おらぁこごがいい」の詩と同じ思いが垂れ幕の文字に現されていたのです。通り抜けた後も、文字は心の言葉になっていつまでも胸に染み渡たりました。AKMYの4人も遂にこの中学生と同世代になる、陸前高田の担い手となっていくのだ、との深い感慨を持ったのでした。
追加の話ですが、この訪問中に岩手地方テレビで、岩手県全市町村PRのための、「自主CM15秒の映像コンクール」の放送を見ることができました。全市町村からの応募の中で最優秀賞を得たのは「陸前高田市」でした。その映像はかさ上げされた一面土の上(建て物などない平地)、たくさんの高校生たちが合唱をし、最後のメッセージに1人の少女が「私たちがこの街を創っていく」との言葉を言う内容のものでした。さらにそのCMメイキングの映像も写されましたが、その合唱指導をされたていたのが、何と千葉久美子先生。これからもこの千葉先生と連携して、AKMYHの指導をしていくことに、陸前高田の未来を切り拓く意味も加わった気持ちがしました!!
2.元気に、AKMYH全員そろって練習の二日半!!
2015年12月28日 第1日目練習にて コミュニティ大ホールにてスタート
左前より 穂乃実・朱莉・海音・由希菜・美尭の子どもたち 後方は檀と村嶋
さて話しは、子どもたちの練習第1日目の12月28日(月)の話に入ります。
この日の朝9時ちょっきり、待ちに待った檀・村嶋は、海音ちゃん宅、朱莉・美尭・由希菜・穂乃実ちゃん宅を回って、全員を乗せて陸前高田市立コミュニティホールの大ホールに到着。
天井の高い、そのコンサートホールに入るや、5人と輪になって「気を付け、礼」の挨拶。こちらの「さぁ、やるぞっ!!」の気合いに対して、彼女たちのエンジンはかかっていない様子、数か月のブランクの後ですから致し方ありません。今までなら遊びの「助走」をしてからとなるのですが、高学年になった彼女たちは、一人の「ゲーム」や「読書(漫画)」の方が魅力的、すぐに1人1人の世界に入ってバラバラになってしまうのです。
それほど子どもたちは<まとまることの尊さ>を教えられていない、(大人がそうなのですから仕方がない)。
また関西と東北の距離と時間の隔たりも大きい・・!!
で、高学年になった彼女たちには大人と同じく助走なし、いきなり「練習」がいいと判断、演技の通し練習を始めました。
「家出シーン」~「雪の女王にさらわれるシーン」から開始し、ここは思いっきり「ワルの子で」との注文を入れると、各人考えながら直していく力あり。次は「目覚めシーン」で作っていった衣装を身に着けると、関西の子どもたちより足が大分出ている。
5人の並ぶ順番やセリフを確かめながら、新たな「私たちもいるよー」のセリフに「ここに小さい子が12人も出るんだよ」と言うと「えーっ!」と驚き、ちょっと嬉しそうな表情。
次に後半の彼女たちの見せ場、「大切なもの」の歌を挟んだセリフのシーンに挑む。過去にショート版「雪の女王」でやった時と同じセリフと歌だが、衣装を脱ぎ捨てる動作が加わる。(成長した人間になった証しの動作)
そして遂に女王との対決シーンまでこぎつける。村嶋が体を張って子どもたちのエネルギーを引き出さねばならない。「かかってこいっ!」「もっと睨みつけて!」「もっと輝石を向けて!」とけんかの勢いで挑む。さらには新たに加わった団結のシーンへ。「離れないで!」とぐるぐる回りながらセリフを言う。そうそう団結こそ、生きてゆく一番大切なものなんだよっ!!
何とか最後のシーン、アモーレテラのシーンを終えた後、彼女から 「私たちのママは誰なの?」の
質問がありました。そこでそれぞれの「ママ役」の名前と、今回初の「お姉ちゃん役」を告げると笑顔で納得、心が落ち着いたようでした。過去楽しく公演を共にした関西のメンバーを思い出したよう。
昼の外食の後、千葉先生が少しの時間駆けつけて下さり、「歌の練習」だけに入りました。
それから「歌入りの通し」もして次第に声も出始めました。最後に、AKMYHだけのアンコール曲をアカペラで初披露してくれました。卒業記念にぴったりの「桜散る頃(山崎朋子作詞・作曲)」の歌でした。きちんとハモっていて、この日、一番の集中のいい、感動の伝わる歌声を聴くことができました。やはり歌の訓練の積み重ねを感じました。ただしこの日はブランクを埋めるだけで精いっぱいでした。でもやはりお姉さんになった分の理解力はあり、また今までの経験分もありで、何とか4回の合わせをすることができました。顔付き、体付き、頭の回転に、「大きくなったんだ」という実感が湧きました。でもやる気も実力発揮もまだまだ、これは2日目に託されたのでした。
1日目 8月と同じ「ハートランド」で外食 2日目 「ホテル三陽大広間」で衣装を付けて
2日目 衣装と輝石を持ったAKMYH 3日目 輝石を持って演技のAKMYH
次の29日(火)は、ホテル三陽さんの大広間をお借りして、時間帯は昨日とまったく同じペースでの練習をしました。2日目の始まりはダレることも予測していましたが、今回はこちらの「ゆくよー!!」のペースに最初から全員が乗ってきてくれました。それに次第に皆の会話もはずんできました。
チームとしての意識の芽生えです。同級生であっても、姉妹であっても、実は彼女たちの日常生活では部活や友人関係も違うのです。だから私たちが行った時の「AKMYH結成」なのです。
さてこの日は、おかげで昨日できたところの段階からスタートをすることができました。
細かい、大切な直しを入れながら、昨日と同じ4回の全通しができました。最後に特に重要な「大切なもの」の歌の部分を直して終了、いよいよ明日の「半日」に繋げました。
3日目の30日(水)もホテル三陽大広間でしたが、半日だけの勝負です。だからこの日はできるだけ、指導の言葉を入れず、動画や録音をして、彼女たちだけの演技に集中させました。
驚いたことに二日間、注意したことをほとんどクリアーしていたこと、もし間違っても自分で「間違えていた」自覚があり、反省の言葉の中にきちんと自分を見詰められる発言があったことでした。
ここに二日半を終え、メイン子役としての展望がはっきり示されたように思えたのでした!!
また3か月後のブランクが意識も演奏演技力も戻らせてしまうかもしれませんが、次は1日~1日半のみっちり復習で、本番にいけると確信しました。私たちの関西での状況と彼女たちのスケジュールで、3月末の最後の訪問(22回目)を決めようと思いました。
2015年12月30日 AKMYHの最終練習 ホテル三陽大広間にて
写真左より朱莉・穂乃実・海音・由希菜・美尭の子どもたち 笑顔でフィナーレ!!
どうか元気に4月2日の公演にそろってきてくださいね、みんな仲良く団結してね!!
3.思わぬ話が続出の第一仮設交流会!!
今回は、子どもたちの演奏演技指導専念の気持ちで、地元へはご挨拶だけにして、仮設の皆さんとの交流会の予定を事前に組むことをしていませんでした。でも27日には時間が空いたので、
「突然ですが・・・」と第一仮設の方に電話を入れてみました。すると今日の今日の話なのに、出先から駆けつけてくださった方もおられて、10名以上の皆さんが集まってくれました。
そして温かい歓迎のアットホームな交流会で、直にいろんなお話をお聞きできるチャンスを得たのでした。まず私たちの近況報告で、関西に来ていらっしゃる福島・関東からの避難者のお話をしました。仮設の皆さんは被災後5年、さらにあと2年はここに・・と語っておられましたが、いくら家を失っても、故郷を失ってしまった避難者の苦難に思いを馳せておられました。そして「女川原発が爆発しなくて良かったぁ」の実感のこもった発言も。近畿地方の人は、福井にものすごい数の原発があっても自分たちのこととして捉える人はなかなかいません。苦しい思いを経験をしている人たちだからこその共感なのでしょう。でも話はそれだけにとどまりません、自治会長さんからの衝撃的な発言があったのでした。
「実は30年ほど前、陸前高田に原発誘致の話があった。当時の市長は乗り気で賛成だったが、八木澤商店(老舗の醤油屋さん)のお爺さんが『自然を破壊する原発には反対しなければ、私財を投げ打っても反対運動をする。』と言って、阻止することに成功した。」との話に、他の皆さんから「私たちも鉢巻をして反対した」との相づち、「もし、あの時ここに原発ができていたら、30メートルの津波でここさ絶対に住めなくなってた。」の発言に、「そうだ、そうだ」と全員一致したのでした。
私たちもこの<歴史の証言>に鳥肌の立つ思いがしました。
さらに私たちが「1月に神戸市の中学校で震災の講演をするので津波のお話を伺いたい」と言うと、次々と「あの時」の証言をしてくださいました。ここに書ききれないくらいの臨場感あるお話が溢れ出ました。16時に次の約束があり、本当に残念な思いで話を打ち切らざるを得ませんでした。
辛い体験の話だったのに、皆さんは「今日はたくさん話せて良かったぁ!」と手を握ってお別れをしてくださいました。「1月の講演で必ず中学生に伝える」の決意をしました。そしてこうした草の根でお聞きする話の真実がどんなに尊いものかを改めて思いました。皆様、ありがとうございました!!
第一仮設住宅の皆さんの前で3曲歌う檀美知生 交流会の最後に顔なじみの皆さんと一枚
「おらぁこごがいい」 「奇跡の街」 「あなたへ」
どうか仮設から新しいお家へ行く日までお元気で!!
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