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活動報告report


 第ニ十五章 変わっていくものの大きさを感じた
           東北復興4周年

1.被災地の子どもたちを取り囲む環境

 2015年3月6日(金)から12日(木)まで、震災後まる4年の陸前高田を訪問をした。
19回目訪問となった陸前高田の街へ、「いつもの」手順とルートを辿っていくとそこに「街」があった。赤土の地肌がむき出しの被災地が目に入った。生えていた雑草の緑がないことがそう思わせたのだが、周囲の山が切り崩され、その土砂が台形状にあちこちと積み上げられていた。 海岸の近くはかさ上げして商業地を作り、山間部は山を削って住宅地を作る計画と聞いていた。
 土砂運搬のベルトコンベヤーの<希望の架け橋>が幾重にも伸び、土埃を上げながら激しく走行する車があった。目を凝らすとその赤土の向こうに真新しい<公営復興住宅>が完成した姿で建っていた。関西ではテレビで「陸前高田市は復興の最先端を行く街」と報じられていたが、確かにそこに<動き出している街>が感じられた。 だが、東北での復興4年目は、阪神淡路の復興を経験している私たちから見れば、はるかに遅い。もっと言えば、ここが「最先端」であれば、他はもっと遅れているということなのだと思う。 関西の人たちには「まだ8~9割の被災者が仮設住宅暮らし」である事実を伝えたいし、その中で「あと数年は我慢して待たねばならない人たちの思い」を受け止めたい。
 またそこから抜け出し<復興住宅>へも含めて新居に転居した人たちには心から安堵するが、地域に生まれる「格差の広がり」に不安を持つ。不便でも仮設住宅で共に苦難を共有する連帯の気持ちで乗り越えてきたが、残された人たちの孤独感は増してはいないだろうか? そして私たちの20年の負の体験、復興住宅での「孤独死」が(もはやこの街で生じたと聞いた)これから次々と生じないで欲しい。4年間に分かちあった温もりを大事にしてして欲しいと切に願う心を持っての訪問となった。
  右奥に土砂のベルトコンベアーの被災地        陸前高田 公営復興住宅第1号

2.小学校最高学年直前の成長する子どもたち!!

 6日(金)、真っ先に訪れた海音ちゃんに会って、正直びっくりした。 何と足がすらりと伸びたことか!4年前、最初に会った時から、17㎝も伸びたそうだ。 そういえばこの「1月公演」時も子どもたちに会ってもそう思った記憶があるが、あまりに慌ただしく、 しっかり認識していなかったと思った。

             
「小さかった」と柱を指差す海音ちゃん    今回全員集合できたAKMYH カラオケ店にて

 海音ちゃんは物腰も子どもっぽさが抜けて、少女らしい落ち着きや進んで勉強に取り組む感心する成長を見せていた。大人にとっての4年間と、子どもにとってのこの月日は何十倍の大きさの違いがあるのだろう。ましてやこの間、家族全員を亡くし、父方の祖父母に引き取られ、まったく違う環境に身を置いた彼女の心の衝撃は図りしれない。だが、歌うことが支えとなって、ここにこうして元気にすらりとした少女で笑っている海音ちゃんが存在することに、心から嬉しく思った そして翌日の7日、朱莉・美尭・由希菜・穂乃実ちゃんたちの新しい立派なお家を訪問した。
 4年に及ぶ8人のぎゅう詰めの仮設住宅暮らしから抜け出し、通っている小学校のすぐ近く、各人のお部屋もある大きな家を自力で建てられたことを、新しい家族の新たなスタートをきることができたことを、ここに皆さんにご報告したい。心からお祝いの気持ちを皆さんも持たれることであろう。
 だがこれは先の長い子どもたちの人生にとっては、入り口に立ったものにすぎず、これでハッピーエンドではないことも思う。被災で傷ついた心を持ちながら、傷ついた街と共に、(海音ちゃんも含めての)4人は、この春には小学校最高学年の6年生としてさらなる自覚ある人生への旅立ちだ。
 小学3年生になる穂乃実ちゃんと今年中学生となるお兄ちゃん、お父さんとお母さんとおばぁ様と共に、この新しい家で新しい団結ある家族への努力が必要であろう。その団結に歌での楽しい時間が存在することを願うと共に、子どもたちを支える大人の皆さんの健康を心から祈る。
 ストレスの多い被災地では、大人の、特に高齢の皆さんの心身の健康が蝕まれていると聞く。
 海音ちゃんの家も、彼女を見守るお爺様とおばぁ様の健康を切に願っている。
 そしてその大人たちの心の支えは、子どもたちの成長であろう。彼らの健やかで豊かな成長の1年であることを祈っている!!

3.忘れぬ津波災害の記憶と鎮魂の思い

  
    陸前高田市震災4周年慰霊式典    2015年3月8日 高田小学校講堂にて

 今回の19回訪問の目的の第一は、「東日本大震災4周年慰霊祭」に出席させてもらうことだった。今年1月17日の「希望の灯り 阪神淡路大震災20周年の式典」に出席した時、「20年たっても忘れられない記憶」ならば、東北の皆さんは「わずか4年の記憶」、どんなに辛く悲しみの深い中にあることだろうと強く思った。
 3月8日(日)に高田小学校で行われた陸前高田市主催の「慰霊祭」にはこれで3度目の列席となった。この日は松田のおばぁ様と海音ちゃん、朱莉ちゃん、穂乃実ちゃんも一緒だった。
 子どもにとって退屈であろうこの式典に3人も列席したことは、とても嬉しかった。災害の記憶を未来に伝えていって欲しいという願いに繋がるように思った。
 それにしても不思議に思うのはこの日の天候だ。1年目は式典中屋根を震わす大雨、2年目は小雨が降り注ぐ中で始められた、3年目の今年も降りそうな曇天の空模様だった。
 なのに、いつも式典が終わるとピタっと雨は降り止み、今年などは会場から出てくると晴れた青空だった。まるで何千人の犠牲者の御霊が、空から私たちをやさしく見詰めているような気持ちにさせてくれる慰霊祭だ。今年も、雲の切れ目から光がさす中、帰り道を歩いた。

4.19回訪問の重みとさらなる出会いの仮設住宅の皆さんと交流!!


    細根沢仮設住宅の皆さん            第一中学校仮設住宅 踊りの会の皆さん

 今回、2か所の仮設住宅の皆さんと印象に残る交流会を持つことができた。
 初めての出会いの「竹駒町の細根沢仮設住宅」の皆さんと十数回の交流を重ねた「高田町の第一中学校仮設住宅 踊りの会」の皆さんとの交流会であった。 交流回数はまったく違っていたにもかかわらず、どちらも温かく何と楽しいひと時であったろう。
 <細根沢>の皆さんには、現地の災害FMの出演で知り合った阿部裕美さんの紹介で、3月9日(月)の初訪問であった。でもすでに私たちの現地での公演で檀美知生の歌声やラジオ放送で私たちのことを聴いてくれていて、向こうから親しく声をかけてくださった。 その時、皆さんに<おらぁこごがいい>と<気仙大工左官伝承館の歌>を披露し、それを大きな声で歌い覚えてもらった。この交流会で大切なご家族を亡くされた方々が、「被災直後は気も張っていたが、夢を見たりしてよく思い出す。今頃になって寂しさがこみ上げる。」と今の気持ちを実直に語ってくださったことが胸に迫った。きっと被災直後は氷のように胸に張り付いていたものが、溶け出るようになってきたのだろうと思った。語る気持ちになられたことも前進の気持ちだとも思った。 今、聞いてくれることや寄り添う心を必要とされていることを感じた。
 さらに10日(火)には第一仮設の踊りの会の皆さんの「いつもの」笑顔にお会いすることができた。すでに<復興住宅>に転居した方も「踊りの会」は続けられ、この日も私たちのために足を運んでくださった。皆さんにはこの「1月公演」のビデオを観てもらい私たちの活動の報告をした。
 そしてこちらにはお馴染みの<おらぁこごがいい>と<気仙大工・・>を覚えてもらった。 この地の訪問の中で生まれたこれらの歌が、さらに歌い広がることを心から願って!!
 帰りには<復興住宅>に転居した方の家に立ち寄らせていただいた。仮設住宅から見ればはるかに住み心地の良い、新居であった。  ただ見下ろす海辺の景色が色のない被災地であることがとても気になり、一刻も早く「色とりどりの屋根の『奇跡の街』」が広がることを祈った。

5.伝承館での3・11の感動の歌声


伝承館の武蔵さんと「気仙大工の歌」の書の前で   「希望の灯り」の前で伝承館制服で

 3月11日14時26分、気仙大工左官伝承館の「希望の灯り」での黙祷に、今年も参加した。
 伝承館は陸前高田の山間にあり、この時期の寒さもひとしおで、被災された当時の寒さを実感させられる場所でもあり、今年は晴天だったがやはり風の強さは猛烈だった。
 しかしここはもはや陸前高田の名所となり、今や全国から被災地見学の皆さんがぞくぞくこの日もバスで上がって来られた。その中でとても嬉しかったことは、仮設の交流会で「<伝承館の歌>を鎮魂祭で歌うので上がっていらっしゃってくださいませんか」の呼びかけに、4人の地元の方たちが本当にわざわざ足を運んでくださったことだった。
 その中で檀美知生は、伝承館職員の武藏さんと共に<伝承館の歌>を、心を込めて<おらぁこごがいい>を歌い、たくさんの皆さんが感動の涙を流してくだった。地元の方たちも「わざわざここまで来た甲斐があった」といつまでも手を振って見送ってくださった。武藏さんもこの歌を広めていく気持ちをより強く持ってくださった。 さらに私たちは知らなかったが、それを地元新聞の「東海新報」に載せてくれたことも嬉しいことだった。
 19回訪問の積み重ねの重さを各所で感じることのできた旅であり、かつ新しい局面を迎えた被災地の問題も感じた、心に残る旅を終えた。完全な復興住宅完成まで「あと4年」の月日を待つ人たちの存在が今も胸に迫っている。


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