第ニ十ニ章 地元との絆をより広く深くして、
陸前高田公演ツアー、大成功!!
1.「奇跡の命」を前に「奇跡の歌声」、心に響き渡る!!
今年1月関西招待公演を終えた時は、こんな感動は再び味わえるものではないと思ったものです。しかし、7月19日(土)からの3日間、特に20日公演では、必死に演じる私たちの胸が何度も詰まる、今まで経験しなかったほどの深みのある感動を味わうことができました。それは苦難を越えて生きていらっしゃる「奇跡の命」の観客の前で、この3年間の深い繋がりでの「奇跡の歌声」を響かせている、という事実があったからでしょう!!
関西そして全国の皆様に、その喜びとお伝えする責任を持って、ここに報告します。
まずは<東北と関西 シングロードフェスティバル>のコンサート大成功からです!!
公演当日7月20日は朝から結構な降りの雨天、第一中学校の会場は丘の上、交通の困難さも考え、果たして何人の観客が来られるか、祈るような気持ちで開場を迎えました。
本番前の<アモーレ>による「奇跡の街」の歌唱指導の中に、次第に観客が入って来られました。そして用意したパイプ席が埋まる約250名の観客を迎えることができたのです!!これは陸前高田での3回の大きな現地公演の中で、一番たくさんの集客でした。車がなければ移動できない雨の被災地で、これだけの皆さんがわざわざ足を運んでくださったのです!!
さぁ、張り切って開演しなければ!!AKMYHの5人と村嶋の司会で始まるコンサートの第一部の開始です。まずは檀美知生の3曲のソロ、ピアノは早川奈穂子さんです。「檀さんの歌に体が震えるほど感動した」とのアンケートがあったように、思いも深く響き渡りました。
そして次は子どもたちの歌の先生の千葉久美子先生のソロ。この街出身の菅野祥子さん(ウィーン在住)創作の被災の故郷を思う歌「春なのに」の熱唱、美しい歌声に感動の輪が一層広がる。さらに<アンサンブルアモーレ>と<奇跡の街合唱団>も加わって4曲の合唱。歌声が響くほどにどんどん観客との心の交流が深まっていきました。
そして第二部の舞踊の部に移り、第一中仮設住民「踊りの会」の皆さんが、私たちがプレゼントした<チマチョゴリ>と<大扇>を身につけて踊られると(写真左下)、親しみを込めた最も大きな拍手で溢れかえりました。さらには「高田民謡会」の櫂(かい)を持った「広田御祝」の踊り(写真右下)も大盛り上がりでした。きっと同じ住民仲間が仮設暮らしにもめげす、明るくがんばる姿への感動と共感だったに違いありません、踊る皆さんも美しかったこと!!
さて次はいよいよ、陸前高田初演のコーラスミュージカル「奇跡の街」です!!
何と子どもたちの生き生き演じること!!(写真右下)、「地元だからぜんぜ~んあがらなかったの余裕。それに負けじと私たち関西陣もまた必死で、何とがんばったこと!!(写真左下)観客の皆さんは笑ったりうなづいたり、時折目頭を押さえたりの連続でした。一番印象的だったのは<お役人たち>が「今後は市民の安全のためにがんばりますっ!!」と観客に向かって謝るところで、大きな拍手が出た所でした。どれだけ行政への復興への願いが大きいか、被災3年の長き日々を耐え抜いている住民の皆さんの切実な望みを思いました。
そしてフィナーレには、「おらぁこごがいい」の歌を高田音頭で踊る輪が、2回目公演時の2倍の大きさで体育館一杯に広がりました。復興への願いが東西文化の中に見事に溶け込んだ、素晴らしいコンサートを成し遂げることができたのでした!!(アンケートをご覧ください。)
2.慰問コンサートでも、子どもたちと一緒の「コーラスミュージカル」に
お年寄りたち大喜び!!
今回の公演ツアーでもう一つ素晴らしかったことは、翌日21日(月・祝)大船渡の「富美岡荘」老人ホーム「慰問コンサート」にAKMYHの子どもたちも同行、コーラスミュージカルを共に演じたことでした。つまりきちんとした2回目公演として刻むことができたのでした!!
コーラスミュージカルのフィナーレ 「歌う会」で施設のお年寄りの皆さんと
昨夜ホテル三陽さんで21時まで「公演大成功の打ち上げ」で共に笑い、大騒ぎをした子どもたちでした。でも翌朝の8時には、同じ三陽さんに元気な姿を現してくれたのでした。
子どもたちのお祖母様も同行の43名一同は、思いっきり晴れ渡った広田湾を右手に見ながら、楽しく「富美岡荘」に到着。施設側はスタッフの皆さんの準備も整い、入所のお年寄りの皆さん約200名をきれいなホールに続々と集めてくださいました。
この日は「奇跡の街」公演の初めをカットして後半からスタート、30分に短縮しての公演としました。この試みは初めてであったにもかかわらず、子どもたちの元気な「AKMYH探検団」の歌から始まり、最後のシーンまで見事に演じきることができました。かなりのお年寄りの方々がいらっしゃいましたが、物語の中に入り込み、笑ったり、拍手したり、共感くださって、大感動の中で終えることができました。
この盛り上がりの中、残りの30分は皆さんとの「歌う会」。中に子どもたちが本物の大きなシャボン玉を作りながら「シャボン玉」の歌を歌ったり、サポーターの皆さんも会場に溶け込んで歌ったり、と、これまたとっても楽しいひと時となりました。
この2つの公演を通して、子どもたちの成長をまた感じることができたことはとても嬉しいことでした。今回は陸前高田の「AKMY(あかり・かのん・みのり・ゆきな)」の小学5年生のお姉ちゃんたちに、新たに小学2年生の「H(ほのみ)」が「探検団」に加わりました。
そして『ステージの上では団結』を守り、すてきに全員がんばりぬきました。
この子どもたち全員が、大切な人を亡くし(3人は両親を亡くし)、今まで住んでいた家を津波で流された、被災体験の持ち主です。
その子どもたちへの音楽での<心のケア>が私たちの活動の原点でした。でも今回の彼らは、「自分の心を癒したり、楽しんだり」だけではないもの、(現地でやるということは)「被災地の人々やお年寄りを元気づけるために」という質の高い目的を持ち、人のために役立つ喜びを感じての、だからこそはつらつとした演奏演技ができたのだと思います。さらに嬉しかったことは、彼女たちの大活躍に刺激され、同行の関西の子どもたちの力も引き伸ばしたということでした。大人の私たちもやり甲斐のある、学ぶことの多いステージとなりました。
3.雨に煙る<語り部>の方の被災地見学、「献歌」の伝承館、心に深く!!
学ぶといえば、関西陣の最も印象深い感想は、「被災地の傷の深さを実感することができた」でした。それはひとえに現地の語り部、森るり子さんによるガイドのおかげでした。実際に傷跡深い被災地の原野に降り立ち、「説明」いただくことで一層の理解を深めることができたのでした。被災の建物の屋上にある「津波はここまで」の文字は、津波のすさまじい勢いを教えてくれるもの、また避難生活の、実際に経験したものでないと分からない苦しみの話。さらには将来の話が印象的でした。今年から<希望のかけはし>(レポート一番下写真)という土砂を運ぶベルトコンベヤーが動き出し、被災地を5~8mかさ上げするために、120mの山を40mまで削り、そのすべての土の使い道が決められていて「災害復興公営住宅」のすべて完成までに「今から5年はかかる」という、さらに耐え忍ばねばならない月日があること。人口流出と闘いながら、この街は苦難の道をこれからも歩み続けなければならない現実を知りました。
その被災地見学後、「気仙大工左官伝承館」へバスは向かいました。檀・村嶋は何度も足を運んでいましたが、雨に煙る広田湾の景色は初めてでした。語り部の方のお話の後の<希望の灯り>(写真左上)に向かっての「気仙大工左官伝承館の歌」の献歌(写真右上)では、今までの中で最も内容を歌えたと思えるほどの、祈りの歌声となって響きました。
この日はたくさんの観光客がギャラリーになってとても喜んでくださり、暖かい拍手までもらいました。説明の金澤館長さんをはじめ、伝承館スタッフの皆さん、お世話になりました!!
4.先遣隊、17回目訪問で地元FM放送に出演!!
話は前後になりますが、本隊合流に先立ち檀・村嶋の2人、7月15日(火)~18日(金)までの3日間、17回目訪問をしました。子どもたちや「踊りの会」との最終確認のためでしたが、今回初めて地元「災害FM放送」に生出演で宣伝活動をしました。
この「災害FM」は、被災直後に神戸のボランティアの人たちの手で立ち上げられ、阿部裕美さん(写真左下)らの地元メンバーが受け継がれ、被災3年目の今も陸前高田の街に<災害情報>を主として流されているものです。車がないと移動の難しいこの街の中で、ラジオは大切な情報原、お年寄りや仮設の皆さんに愛されている放送です。訪れた「放送局」は高台の畑地に立った仮設で本当に小さなものでした。檀・村嶋も阪神淡路大震災の時、長田区に設置された「FMワイワイ」放送に出演しましたが、たたずまいがとても似ていることを思い出しました。やはり阪神淡路の経験は、こういう繋がりを生みだしているのだと実感しました。
17日は早朝、2畳ほどの放送局内に大きなマイクが私たちの前に置かれての生放送(写真右上)。その中で私たちとの地元との出会いや公演の宣伝の話に、「おらぁこごがいい」「奇跡の街」「気仙大工左官伝承館の歌」「私の好きなこの街」の歌も流してもらいました。街中の方々に、私たちの活動を知って欲しいとずっと思っていましたので、とても嬉しいことでした。
今回は地元新聞の、「東海新報」に2回、「朝日新聞・岩手版」にも2回、「毎日新聞・岩手版」や「岩手日報」、そしてNHK地元ニュースに朝晩流してもらえ、地元密着報道にとても助けられました!!またTBSがこの間ずっと同行取材してくれ、後日「特集番組」として全国放映される予定だそうです、楽しみにしていてください。
5.阪神淡路大震災20年目へ<伝える>決意!!
関西37名一同、誰しも思ったこと、それは「この体験を絶対に伝えねば」でした。
今回はステージに立った者21名、専門家3名、それにサポーター13名がそれぞれがそれぞれの持ち場で全力でがんばりぬきました。だからこそ思いも深く、掴めたものも大きいと思うのです。今回サポーターの皆さんにもチラシ宣伝、会場設営・撤去など本当に力になってもらいました。力が合わさってこそ成し遂げることができたツアーでした。
そして私たちはこの力を「阪神淡路大震災復興20周年」を迎える来年「1月10日」公演への第一歩にしたいと思います。どうかこのレポートをご覧になった皆様、私たちのプロジェクトへの輪に入り、その絆を強くすることへの力になってくださるようにお願いします。
また陸前高田・大船渡で協力いただいたAKMYHのご家族、ホテル三陽さんをはじめ、現地の皆様方に深く感謝申し上げます、ありがとうございました!!
2014年7月20日の一本松。左が土砂を運ぶベルトコンベヤー<希望のかけはし>
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