第ニ十一章 やれる限りの全力で第16回訪問、
先遣隊の任務完了!!
ホテル三陽での合宿の朝、ようやくそろった!! 大広間で練習、TBSさんが取材に!!
1.離れている心をチームワーク作りで結ぶ!!
一番の報告は、やはり陸前高田AKMYHの子どもたちのことでしょう。
実は、16回目訪問となる「7月公演先遣隊の日程」がなかなか定まらなかったのですが、子どもたちと一同に会する日が取れなかったためです。彼女たちも小学5年の上級生、学校行事も部活も中心となってきている、しかもはきはきしたやる気ぞろいの子どもたち(この成長の何割かは私たちの歌の活動があったからですが)何にでも全力で向かいたいとの思いがあり、その中で私たちが割り込まねばならない困難さがあったからです。それに私たちと離れている分、まずははじめはこっちに気持ちを向けさせる時間をかけなきゃなりません。また同じクラスであってもたとえ同じ家族でも、思春期でもあるので、自立心も育っています。これらをすべてひっくるめて、ねじり出した時間の1日半の中で課題を達成させなければなりません。
まずは<チームワーク>作り。時間があれば大好きな<カラオケ>で過ごしてからが効果的で良かったのですが、今回は時間の余裕がありません。そこで今回は<合宿練習>、ホテル三陽の大広間にて、練習場所の移動なしで、一緒に過ごすということにしたのでした!!
そのおかげで今回用意した2つの遊び、<手芸>と<シャボン玉>は何回もできました。
手芸は、かのんちゃんのママが遺してくれた「フェルトのスイーツ」からのヒントです。古くなっていく「ママのスイーツ」も新しく子どもの手で作り出す、幸いかのんちゃんばかりでなく
全員が手先のことが大好きなので、よーし<手芸の時間>を持とうっ!!となったのです。
さらにシャボン玉は大型のものができるものを手に入れることができました。
これも、それはそれは夢中になって遠く遠くへ飛ばしました!!まるで<夢>を高く飛ばす願いを込めるように・・・!!
左からかのん・あかり・ゆきな 大ばぁ様(中央奥)曰く「こんな大きなシャボン
大きなシャボンの中に小さなシャボン作り を見たのは生まれて初めてッ!!」
共同作業が遊びの中に見られ始める 美佐子おばぁ様の実家の庭にて
さて、その遊びの中に最も重要な<練習>を入れ込みました。セリフも動きも1月にやった「奇跡の街」ですから、思い出すのが大半でした。でも今回大きく変えたところがありました!!それは一番年下のほのみちゃんが「探検団に入隊」、「AKMYH探検団」として新しい探検団を結成する所でした。小学2年のほのみちゃんの精神的に幼さと、お姉ちゃんたちの受け入れの気持の、2つのやる気を引き出すことでした。だからこのシーンは何回も繰り返し、お姉ちゃんたちとなんやかんやのことはありましたが、それでも新しい振付もおお気に入りでがんばり、なんとかパーフェクトに近づけました!!皆さん、ほのみちゃんの「嘘泣きっぷり」とおねぇちゃんたちの「意地悪っぷり」の、かわいい演技を楽しみにしていてください。
2.支援の心をより自覚的にした子どもたち!!
それから檀・村嶋は2つの新しいことを提案し、その2つとも子どもたちの快諾を得られたことを報告します!!
一つ目は今回の公演の司会を「子どもたちと村嶋でやる」ということでした。
「本番は原稿を見ていいよ」の言葉に、「やるぅ~っ!!」と全員一致ですぐに練習開始。
一所懸命、曲の題名を声を合わせたり、一緒にポーズを決めたり、とがんばりました。
二つ目は、翌7月21日(月・祝)「富美岡荘ミニコンサート」にも「子どもたちも出演して欲しい」の話でした。これもすぐに「やるっ!!」「いくっ!!」と言ってくれたことはとてもとても嬉しいことでした。打ち合わせで施設の方とお話した時、目を輝かせて「そりゃ、もったいない、リアスホールででもやったら」とも言ってくださったくらい喜んでくれました。
今から、ご老人の皆さんの喜ぶ顔が目に浮かびます!!
さて、この2つのことを読んで、「この子どもたちのやる気」に感心されたことでしょう。
確かにそういう子どもたちではありますが、必ずそれを引き出す苦労の作業がいることを知ってもらいたいです。今回も特に初めっから意欲があったわけではなく、むしろ逆の態度もありました。<遊び>で努力もしましたが、檀・村嶋はもっと「真の話」をしました。
それは「何のために公演をやるのか?」の話でした。今までは彼女たちは「自分たちが楽しいからやる」に留まっていた部分が大きかったと思います。だから「地元で同じ公演をやる」というだけでは彼女たちにはそう魅力的なことではありませんでした。「楽しいことなら他にもっとある」状態の彼女たち、それ以上に「他の友だちからからかわれないだろうか?」の不安もあるのです。陸前高田では、震災遺児も他にもたくさんいて、ほとんどの子どもが家を流されて、何も彼女たちだけが特殊ではない、被災地です。だからこそ2人はしっかり言いました、「この街の人を元気づけるために頑張ろうっ!!」と。「自分のため」以上の、「人のため」に歌うことの大切さです。彼女たちは考える様子をしたあと、見違えるような芯のある、演奏演技をしました。今まで以上に、はっきり自覚ができたような気がします。
「1月のTBS放送」の中で、コメンテーターの岸井格さんが「かのんちゃんは自らを慰めるためだけじゃなく、もはや人の心を癒す役目も担っている。」と言われました。
私たちはいつも練習で、5人共の歌声にそれを思います。発声の訓練の千葉久美子先生のご指導の賜物も思います。でもその上に、大切な人や家を失った悲しみを知ってしまったが故の、深い感情を表す術を、彼女たちは知っているのだと思うのです。その心を「街の人のために」という大きな心で発揮した時、素晴らしい演奏演技になると思うのです。
あの子たちの歌っている姿に、村嶋はいつも阪神淡路大震災直後にあらわした中学生たちの素晴らしい表現力の「震災新聞」を思いだすのです。子どもたちの心に寄り添い、彼らを信じ、その力を引き出す。今回もまたそんな子どもたちとの「格闘」をやってきました!!
3.何と楽しげなチマチョゴリ姿の「踊りの会」の皆さん!!
ポスターを持ってポーズ!! 踊りの会のメンバー、総勢12名
中央の紺色の服が及川キヨ子先生
第一仮設住宅の「踊りの会」へのチマチョゴリの衣装のプレゼントは、大成功でした!!
いろとりどりの衣装を楽しげに身に着けて、出てこられた時は綺麗で歓声を上げてしまいました。
「届けられた「『衣装箱』を開けた時の歓声は、今の10倍でした!!」とお聞きした時、
私たちまですごく幸せな気持ちになりました。
この衣装の話は、2年前の9回訪問の際、踊りの先生の、及川キヨ子さんがこういう話をしてくれたことに始まりました。
「津波が自分の家の2階まで押し寄せてきて、大事な着物や衣装をぜーんぶ流されました。ところが天井近くにあったたった一枚の『チマチョゴリ』だけまったくどうもなく、難を逃れてあったので、びっくりした。奇跡のようにそこにあった・・・」
それ以前は、伝統舞踊に尽力されておられましたが、何もかも流された及川先生は仮設暮らしとなりました。被災後、何のやる気も起こらない時期もあったそうですが、「第一中仮設」の皆さんに請われるまま、「仮設住民踊りの会」のご指導を始められました。
私たちが何度もそこに足を運び、交流する中でふと口にされたのが、その「チマチョゴリ」のお話でした。それがとても村嶋の心に残りました。このたびの「東西文化の交流コンサート」には「是非、『チマチョゴリ』で踊っていただきたい」と思うようになり、朝鮮歌曲の「トラジ」を踊ると話された時、即座に「プレゼント」を口に出していました。プロジェクトで支援金カンパに努力し、もう一曲の「支那の夜」の扇もプレゼントをさせていただきました!!
おそらく今日も本番の第一中講堂の舞台で、一層熱の入った練習されていることでしょう。どうか被災3年目をのりきる元気を、コンサート出演の目標で沸き立たせていただきたいです!!
さて、今回のチラシ7000枚のうち、各小中学校に1500枚、各仮設住宅に2000枚など合計6000枚を、またポスターのほとんどを陸前高田の街に配布してくることができました!!あの黄色いヒマワリが待ち中に咲いていることを望みます。
本日、地元新聞「東海新報」にもお願いしていた記事とこのチラシが掲載されたと隆子おばぁ様から電話をいただきました。あとのチラシは、そちらに行って私たち37名が一軒一軒配布します。たくさんの地元の皆様の観客に恵まれることを心から願っています!!
〒659-0062
兵庫県芦屋市宮塚町12-19
TEL 0797-22-9438