第三十二章 次へつなげた熊本・阿蘇初訪問報告
1.「講演会」1週間後、支援金30万円をカバンに入れて出発
近づく被災地の傷跡取るものもとりあえずの出発だった。
とにかく「皆さんの善意のお金30万円をお届けしなければ」の一念だった。
そしてそこに待ってくださる人が見えていたからだ。まさに「顔の見える相手への支援金」だった。
檀・村嶋の旅は東北22回訪問で慣れていたが、今回はいろいろと違った。
フェリーによる旅行も「時間」断然違っていた。
東北では、名古屋港まで3時間、そこから一日乗ってもまだ仙台港に着かない、夕方4時ごろ着くので、仙台で一泊、そして翌日朝から5時間かかって陸前高田に辿り着く2泊のコースとなる。
ところが今回は六甲の神戸港まで行って、乗って寝たら朝ごはんも食べてないのに新門司港についていた。
「九州は近い」の実感はそれだけではない。檀の故郷が福岡なので、「なまりなつかし・・」で言葉も親しみやすい。
文化や風土というものの近しさを感じる。それでいえば、福島の皆さんが関西の地に来られた時、きっと外国に来られた心細さを感じたのも、逆の意味でわかる気がする。
さて、今回は檀にとって母のような存在の姉が、
待っていてくれ、短時間であったが大歓待してくれた。
黒川温泉で「講演会」の疲れも癒すことができた。
この温かさは次へ突き進むエネルギーを与えてくれた。
しかし、カバンに入れた「支援金」をお渡しするまではと
気が気ではなく、親戚との再会もそこそこに一路、
南阿蘇へ向かっていた。
2.近づく被災地の傷跡
南阿蘇へは、北の黒川温泉から入っていった。黒川温泉は地震の影響からすでに復活していたようで、お客さんで溢れかえっていた。
この様子も、5年目となってしまった東北の地の盛り土のまんまのあの光景とはまるで違った。
でもそれだけに、被災地に近づくにしたがって、幸せな光景からの格差を予想して身構えた。
やがてその予感は、次第に現実のものとなっていった。
車を走らせていくと、たびたび
の「一旦停止」「落石注意」の注意書きの看板と警備
員が目についた。そして広々とした見晴らしのいい
「展望台」に出た。360度美しい草原・田畑の光景に
写真を撮ろうとした時、全壊した姿のままのレストラン
がポツンとそこにあった。そのように、崩壊は点在して
私たちの目に入ってきた。緑の草原の山肌の中に、
爪でひっかいたような土砂崩れが見えてきた。そして
「阿蘇道の駅」で待ってくださった第二の人、
<防災コーディネーター>の高砂春美さん会った。
山肌に刻まれた地震と豪雨による土砂崩れの傷跡
3.<阿蘇大橋崩落>の黒川地区を見学!!
「阿蘇・道の駅」で防災コーディネーターの高砂晴美氏が迎えてくれた。
高砂氏は、4月の熊本地震発生直後から現地に入り、その後4か月間、ずっと支援を続けられていた方です。私たちは阿蘇在住の友人、村田隆一氏(檀と同じ福岡高校17回生)とつないでいた。
さて、ご挨拶もそこそこに高砂氏の車の先導で、南阿蘇で大被災地の<黒川地区>に向かった。
熊本地震の被害の大きさを象徴するかのような<阿蘇大橋崩落>現場を、皆さんもテレビでご覧になったと思う。
わたしたちもそこに降り立ち、目の前に大きく
えぐられた山肌が見えた。
むろん大橋は影も姿もない。そして大橋のあった
はずの向こう岸に土砂崩れを防ぐ工事の重機が
動いていた。私たちが思うより遠いのだろう、
山肌に這うように「重機」は点のように見えた。
そして高砂氏は、あれはすべて「ロボットの運転」
であると教えてくれた。人は到底入ることができない、
危険な地域であることを思った。
ここから70メートル下に、最後の犠牲者の発見が
あった地点があるらしい。ここからは到底見つける
ことなどできない遥か底のように思えた。
ご両親の執念の捜索であったのだろうと話す。
大橋地点のむごさに気を取られていたが、ふりむくと無残に崩壊した家々の姿がそこにあった。被災後、そのままの姿に、21年前の記憶が蘇る。阪神淡路大震災の街の姿と同じ光景がそこにあった。まともに建っている家は
一軒もなく、平衡感覚がくるってしまいそうな崩れ方である。
そのすぐそばに「東海大学」の立派な校門の文字が目に飛び込んできた。「あれが学生寮です。」
高砂氏の指さす方向に、くずれた長屋があった。こんなことがなかったらここは若い1000人の学生の集う声に包まれていたはずだ。最早、1人の学生もいない。開校のメドは無いと言う。尊い3人の犠牲者を出しただけでない。「農業をめざす1000人の若者の存在を、南阿蘇村は失った。」
深い傷あとが、被災の光景の中ばかりでなく、その言葉の中に垣間見えた思いがした。
4.4回の支援コンサートで、被災者たちと優しい出会い!!
8月31日(水)の午後から出発の9月2日の午前までの3日間、4回ものコンサートを用意して頂いた。
こちらからの要望で「今回はできる限りたくさんの被災者に歌をお届けしたい」との思いに応えてくださったものだった。傷跡も生々しい被災地での私たちの急きょのお願いに、高砂さんや村田さんにはさぞかしご苦労をかけたものと思う。
1回目の31日午後は南阿蘇村の<阿蘇温泉センター>の一室でのコンサート。「何人来てくれるかわからない」とのことだった。それでも十名ほどの皆さんの中に、驚いたことに知り合いの東京から移住の方がいて、「こんなところで檀さんの歌が聴けるなんて」ととても喜んでくださった。何か結ばれた糸のようなものを感じて嬉しかった。
2回目は翌日9月1日(木)の午前中、「ありがとう南阿蘇」という食でつながる団体がセッテングしてくださった。阿蘇の草原を見渡せる立派な小手川宅のリビングでのコンサートに、仲間がぎっちり集まってくださった。手づくりカレーの昼食が用意され、野菜やデサートにいたるまで安全安心にこだわった阿蘇の食材が印象的だった。私たちは、「避難者の皆さんに食べてもらいたい」という思いがこみ上げる中で、本当に美味しく頂いた。3回目の、この日の夜は、「ライブハウス ZINGARO」でのコンサート。村田さんのご友人やボランイテアの皆さんに埋め尽くされた会場。さすがライブハウスだけに歌も響きがよく、お話しも隅々までいきわたり、大きな盛り上がりのコンサートとなった。最後の2日(金)の午前中は、大津町の新しい<岩坂仮設住宅>の皆さんに歌をお届けしました。
ここの<仮設住宅集会所>はこの日が初使用。仮設の皆さんは「はじめて入る」人たちばかりで、私たちが「どうぞお入りください」と私たちが招待したような面白い始まりとなった。真新しい畳の部屋でのコンサートだった。この4回共に、そのいずれも私たちを待っていたように、どの檀の独唱と村嶋の話にも心に染み入って聞き入ってくださった。時に涙を流される姿に、震災の傷がまだまだ癒えていないことも深く感じた。実際、訪問中に震度5のかなり大きな余震を経験した。でもそんな被災地だからこそ、歌をお届けできて本当に良かったと感じた。日本歌曲の「母」「わが母の歌」から始まり、東北支援の話で「おらぁこごがいい」「奇跡の街」、最後は「千の風」や「ふるさと」の歌を共に大きな声で歌うしめくくりに、とても満足の握手と笑顔でのお別れをしました。後藤農園さんのバラの贈呈、大津では私たちの車を追っかけて手を振ってお別れしたことは、忘れがたい思い出となりました!!
「ありがとう南阿蘇」のみなさんにコンサート ライブハウスにて後藤農園さんよりバラの贈呈
5.今回の、仲間との「熊本・阿蘇ツアー」の決意!!
帰りのフェリーでも、帰ってからの練習でも、絶えず私たちの脳裏に、阿蘇の皆さんのことがよぎった。
そして、10月8日に阿蘇中岳の噴火があった。噴煙と火山灰は阿蘇の北東部に積もったという。
不幸中の幸いというか、南阿蘇には被害が及ばなかったし噴火はそれで収まりをみせた。
しかしちょうど連休中のことで、少し戻ってきた観光客の客足に大きな影響をもたらした。
10月16日になって「被災から半年後の熊本・阿蘇」のニュースが流れた。
驚いたことに熊本・益城町でも、南阿蘇・黒川地区でも公的な作業としての解体が一軒も進められていなかった。
地盤調査であるとか、全半壊の査定であるとかに、時間だけが悠長に流れているのである。
やっと全被災者の「仮設住宅入居」の報道にほっとするも、水源を失った田畑や、土砂崩れの危険の所はそのままである。
今から冬に向かう阿蘇は、積雪もある極寒の地となる。
南阿蘇では今、「阿蘇大橋」の崩落により、う回路を使って、熊本の街に抜けているが、その山道が凍結する恐れもある。
陸の孤島と化してしまわぬうちに、「年内開通目標」の「俵山トンネル」建設こそが、南阿蘇の生命線となっている。
どれほど心細い阿蘇の皆さんの冬越えであろうかを思い、私たちは、その「俵山トンネル」開通を待って、関西の仲間と、再び熊本・阿蘇への支援コンサートを企画することになった。
現地で、高砂晴美さんや村田隆一さんたちが大賛成をしてくださり、コンサート会場押さえや後援の取り付けに奔走してくださっていることは何と心強いことだろう。
私たちもその期待に応え、プログラムを「CATS IN ASO(キャッツインアソ)」と掲げ、歌と芝居の楽しい内容の脚本を完成、練習に励むことにした。
助成金獲得にも走り回り、できるだけたくさんの団員、特に避難者の皆さんへのよびかけをしている。
阿蘇の空気や水やの自然がなんと美しく、放射能汚染されていない安心安全の気持ちを強く持ったからだ。
被災地支援と同時に、避難者親子の皆さんの保養にしてもらいたい、また向こうの皆さんに、「ここを決して汚さないで!!」をお伝えする気持ちも強い。
どうか、「俵山トンネル年内開通」を祈ることと、もう一つ、それは「大自然に対して敬意を払いますから、どうか私たちの味方になってください」と、阿蘇の自然の神々に祈ることです。
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