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活動報告report


 第ニ十七章 猛暑、猛烈日程の20回訪問、
                 多くの成果生まれる!!

 関西と東北の皆様、全国の皆様、本当に全国的猛暑の夏です。今回の東北20回目支援訪問は、最も過酷な条件での日程となりましたが、檀・村嶋は年齢・体力にめげず、成果満載の報告をすることができます。この報告で応援の皆様に感謝の心と暑さを跳ねとばす元気をお届けします!!

1.第一目標の<AKMYH練習>、無事達成!!


                     レストランにてAKMYH

   大ホール練習場にてAKMYH・檀            大ホールで歌うAKMYHと村嶋

 さて今回の訪問の第一目標は、あかり・かのん・みのり・ゆきな・ほのみの少女たち<AKMYH>とのミュージカル練習でした!!彼女たちに会うのは3月訪問以来4カ月ぶり、ミュージカル練習は昨年7月陸前高田公演以来で1年間のブランクがありました。4人はもはや小学校最高学年で勉強も行事も部活も大忙しの日々、5人同士もそれぞれに別々の生活を送っている様子です。 遠くの私たちとの対話もままならず、「練習の日時と場所」をお家の人と約束したものの、果たして 彼女たちの<やる気><演奏演技力><団結力>はいかばかりか?全員そろって集まってくれるだろうか?の心配の思いの中、「練習再開のその日」を迎えたのでした。
 その日は8月4日(火)の朝。檀、村嶋は(子どもが全員乗れる)大型レンタカーで各家庭を回ってお迎えをし、朝10時半に会場入り。そこに全員の子どもたちの顔を見た時、ほんとにホッとしたものでした。大げさではなく「再び奇跡の第一歩を踏み出せた」という気持ちがしました。 今回、何よりラッキーだったことは、新しくできたばかりの<コミュニティーホール>を練習会場に 借りることができたことでした。まずは真新しい<和室>で、「雪の女王」の脚本のすべてを、大人のセリフは檀と村嶋が7色の声で、子どものセリフは5人で読み合わせをしました。子どもたちにとっては「長い物語」の全容を何とか掴んだところでちょうどお昼。何と外は38度の陸前高田史上初の猛暑の中、汗だくの外食。でも午後は、より環境のいい大ホールの<シンガポールホール>の、 広く涼しい場所で、子どもの場面すべてを立ち稽古で通しをすることができたのです。 この日は本来の実力発揮には遠いけど、一応の「形を作った一日目」を何とか終えました。
 さぁ、2日目の5日(水)はもっと勝負です。この日も朝から猛暑を予感、昨日より早くに大ホールでの稽古を始めました。そこに音楽教室の千葉久美子先生が駆けつけてくださったことはとて心強いことでした。挿入曲3曲の選曲や歌い方を決定する中、ようやく歌もセリフも声が出るようになってきました。特に「大切なもの」を歌うことで感動を呼び覚まされた子どもたちは、芝居の中でも目の覚めるような演技に転じてきました。「これはいいぞっ」の感覚を掴んだ所でお昼の外食へ。ぐんぐん上がる真昼の気温でしたが、昨日の教訓で(ここは被災地なので)ネットで調べたレストランで、この日は冷房の効いたおいしい食事に辿り着くことができました。食卓を囲むことは幸せ、子どもたちの 笑顔の交流も深くなってきました。ところが午後<ホテル三陽の大広間>での練習は、エヤコンがまったく効かず、蒸し風呂状態。もはや練習はこれまでと、「ビーズ作りの遊び」などで過ごし、 テンションあがったり下がったりの「チーム作りの二日目」を終えることになりました。
 さぁさぁ、すべては3日目の6日(木)の最終日に賭けられました。気合を入れて9時ちょっきり、<シンガポールホール>での練習が始めることができました!!この日新たに「雪の女王との対決」の子どもたちの活躍シーンと、フィナーレシーンを追加しました。 「さぁ、かかってこいっ」と構える村嶋の女王に、5人は何とクリアーな若々しいセリフで対抗してきたことでしょう!!また「アモーレテラ」の檀の歌の中、子どもたちが駆け込んでくる最終場面も完成。その生き生きした演奏演技にかつてのAKMYHの実力が蘇り、ホール一杯に若々しいエネルギーが溢れました!!目標到達とうなづいた2人は、午後は<和室>に移動、関西の団員へのメッセージ作りもやることができ、「仕上げの三日目」を無事終了させたのでした!! わずか3日間、されど3日間っ!!子どもたちが大きくなり、少女から乙女への変化を感じさせられると共に、この4年の日々に大きな舞台を踏んで蓄えた力、千葉教室で培われた歌の蓄積を感じることのできた3日間でした。私たちも子どもたちも困難を排して出会い、感動の瞬間を持てたことは、やはり<奇跡>であったことを、感謝と喜びを持って思わずにはいられませんでした!!

写真は3日目、すべての練習を終え<風船作り>楽しむ、み~んな大きくなったでしょ!!

             
     みのり・あかりちゃん(小6 双子です)       かのんちゃん(小6)


   ゆきなちゃん(小6)         ほのみちゃん(小3)         檀・村嶋

2.第二目標の<仮設交流会・ミニコンサート>で草の根活動の感動!!

 今回は、子どもたちとは前半の闘いであり、後半にも大切な闘いのスケジュールが待ち受けていました。 特に8月8日(土)・9日(日)は、まるで<コンサート巡業ツアー>のような日々でした。


     第一中仮設の皆さんと炊き出し       気仙沼仮設交流会で「おらぁこごがいい会」

 8日は朝から「陸前高田第一中学校仮設住宅集会所」を訪問、顔なじみの皆さんがそこにいらっしゃいました。でもいつもの「踊りの会」だけではなく、仮設住民あげて大きな鍋や釜で炊き出しの真っ最中でした。私たちもおにぎりを握る輪の中に入って作業をしていると、そこに神奈川県大和市から「自然体験教室」の小中学生30名がやってきたのでした。自然から学ぶ子どもたちならきっと<津波災害>も知りたくて参加したのではないでしょうか。そこで私たちから<歌でのボランテイア>を伝えようと「おらぁこごがいい」の歌と話をする機会をもらうことができたのでした。子どもたちは真剣な眼差しで、仮設の皆さんは深くうなづいて聞き入ってくれた姿はとても印象に残りました。 もっと交流をしたいと願いつつ、そこから私たちは次の目的地へ向かわねばなりませんでした。 大和市の子どもたち、もしこのHPに辿り着いてくれたなら、是非感想や意見で交流しましょう!!
 さて次は、気仙沼市の「総合体育館」脇の80世帯ほどの仮設住宅、集会所でした。 14時から16時まで、私たちの「おらぁこごがいい会」と名付けた檀の独唱と歌う会のプログラムを予定しました。厳しい陽射しの中、仮設住宅での暑さはいかばかりかと思う中、それでも集まってくださる皆さんがいました。こじんまりの交流会とはなりましたが、皆さんの歌声は大きくびっくりしました。「おらぁ・・」は馴染みやすく楽しく覚えてもらえ、最後の所を<(高田松原ではなく)気仙沼の街よよみがえれ>と歌い上げて、笑顔の歌声が響き、時間一杯楽しんでいただけました。
 次に急ぐは私たちの宿泊ホテル、「南三陸ホテル観洋」での夜のロビーコンサート。 到着すると営業課長の伊藤さんが待ち受けてくれ、そのホテルロビーの豪華さにもびっくりしながら打ち合わせをしました。土曜日なので満員のお客様、正直このデラックスなホテル宿泊者の要求と私たちの歌が合うのかな?と躊躇の思いも過ぎりました。 でもこのホテルは津波被災した直後から避難所に解放したり、現在語り部のバスを出していたり、 ロビーには津波被害の映像を3Dで放映したりと、正面から復興に取り組んでいる姿勢を感じ取りました。そこで被災を知らないお客様たちだからこそ伝えよう、という気持ちに切り替え臨みました。 20時から始められたミニコンサートは、ロビーの座席を埋める宿泊客が集まってきてくれました。 やはりほとんどが東京などの地元ではない方々でした。ロビーに大きなスクリーンも用意して頂けましたので、最初に<私たちの活動のDVD>、続けて「おらぁこごがいい」「奇跡の街」を檀が熱唱、それから歌う会をしました。中には前に出て歌ってくださったり、最後まで残って「感動しました。いいお話をありがとうごさいました」とわざわざ挨拶くださったお客さんがいらっしたことは、とても嬉しいことでした。
 さて次の9日(日)午前中も活動は続きました。同じ気仙沼市の北に少し戻った「本吉町」という所の20世帯ほどの小さな仮設住宅の集会所でした。集会所へ行くとすでに自治会長さんご夫妻が待っていてくださり、10名以上の参加者があったことはとても嬉しいことでした。 さらには<DVD>にも檀の歌にも涙を流して喜こんでくださり、歌う会では時間一杯に歌い、「おらぁ・・」もしっかり覚えていただきました。最後のお別れ時に「たのしかったぁ!!」との心からの感想、「歌でのボランティア冥利に尽きる言葉」にこちらも涙の出るような嬉しさを持ちました。
 以上、すべての日程を感動を持ってこなすことができたのでした!!


       ロビーコンサート、熱唱する檀と村嶋 (「ホテル観洋」プログ写真より)

3.感じた被災地の変化と私たちの役割り!!

 今回の訪問では、3月訪問以上に「移り変わる被災地の今」を感じました。 陸前高田や気仙沼のあちこちに、周囲の山を切り崩した土砂がいくつも台形状に高々と積み上げられ、削られた山の向こうの景色が見えました。陸前高田では公営復興住宅団地の2号目が、 気仙沼では戸建ての復興住宅が完成されつつあり、大きな道路の陸橋が形づくられてもいました。 気仙沼の仮設の「さんさん商店街」や「ホテル観洋」の集客ぶりはなかなかのものでした。 そしてどこへ行っても皆さんから、新しい町の完成までに「あと3年」の声が聞かれました。
 やはり「3年」は長い!!あと3回の猛暑の夏と酷寒の冬を越えなければなりません。 仕事も生活も体力も「3年」持ちこたえなければなりません。仮設は狭く、カビもはえてもはや老朽化してきています。ストレスとの闘いの日々なのです。大勢の仮設のままの人たちと一部の新居できた人たちとの、不公平感、格差感だけは大きくなっていきます。先行きの不安に押しつぶされそうになる人たち、一方仮設の人への申し訳なさが、お互いの孤独を感じていることを思いました。 ただひたすら「早く、復興っ!!」なのです、オリンピックも要らないのです。外の人たちに対しては、地域の活性化のために「外から被災地にとにかく足を向けて欲しい」の叫びが聞こえるようでした。 ボランティアも数は減っているようです。特にその日を楽しく過ごせるようなイベントが欲しいと言われます。第1中での久しぶりの<炊き出し>での笑顔、歌う会の後の「楽しかったぁ!!」の言葉が胸にしみるのです。関西から大勢で合唱などの、ましてやミュージカルのコンサートをお届けできたら、どんなに喜ばれるか、できたらそこに地元の皆さんも出演されたら、それに向けてお稽古にどれだけ生きるはりあいを作ってさしあげられるだろうことを思いました。
 今回はこれらの仮設交流会の手配を「気仙沼復興協会」の職員の福岡さん他スタッフの皆さんがしてくださり、同行もしてお世話くださったのです。「ホテル観洋」の伊藤さんも神戸まで出張営業されたそうです。きっとそうした地元の皆さんの要求に応えるための必死の努力をされているとを感じました。またそれらの方々と私たちと結びつけてくれたのは、バレンタインチームの久一千春さんでした。今回の出会いを繋げてくださった方々に深く感謝申し上げます、ありがとうございました!!そしてまだまだ目の離せない被災地の現実、そしてそこに音楽や文化で心を救う活動の必要性を感じながら、帰路に辿り着いたのでした。

4.関西での活動、避難者と支援の皆さんとの連帯強めよう!!

 最後に、私たちの今後の活動を、皆さんにお知らせしたいと思います。 それは来年4月2日公演の「雪の女王」のステージ作りに邁進することです。 陸前高田の子どもたちにはあと2回の訪問指導を予定しています。同時に関西在住の避難者・支援者の皆さんを募って、関西陣を大きく広げ固めることです。 今回の東北の各地、子どもたちにも、「放射能汚染を逃れて関西まで避難されている皆さん」の存在の話もしてきました。でも<福島>は関西より近い地域にもかかわらず、決して敏感な反応とはいえませんでした。おそらく「被災地での生活が大変なことで余裕がないこと」での反応だと推測しますが、それ以上に全国の人たちに「原発事故の真実が知らされていないこと」が一番の問題なのだと思います。折しも「九州の川内(せんだい)原発」が動かされてしまいました。もし事故が起こったらと思うと、避難者の苦難は決して他人事ではありません。 だからこそ関西の私たちが、避難者の現実からしっかり学び、支援をしていきたい。そのためには避難者の皆さんと出会い、ステージへの呼びかけを続けてやっていきたいと思っています。
 この8月3日に「神戸新聞」に募集記事の掲載をしていただきました。 またその記事を「関西原発訴訟団」の森松さんや宮崎さんが自分たちのHPに載せてくれました。 2人だけの東北活動だけではない、関西の<仲間>の皆さんが励ましを送ってくれたようでとても嬉しく思いました。そして今、強く思うことは、被災者・避難者の皆さんの頑張り以上に、支える側の支援者の頑張りこそ大切であることを訴え、外への連帯の広がりを強く呼びかけていきたいとの思いです。
 今後も東北への直接支援と、関西での避難者支援の両方に取り組む私たちのプロジェクトです。この活動への参加を募りながら、報告を終了します!!


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