第ニ十三章 伝えることの大切さを改めて感じた講演活動
1.福岡高校同窓会50周年記念で支援の報告!!
福岡高校は、創立100周年を数年先に迎えるほどの、九州でも指折りの伝統ある学校です。
その中で檀美知生(村嶋紀久男)の17期生は卒業して50年目、その「記念同窓会」が9月7日(日)、
福岡国際ホールにて行われたのでした。福岡高校は、たくさんの優秀な人材を世に輩出していますが、
皆が誇りとするノーベル平和賞候補者の<中村 哲氏>もまたそのお一人。
その彼が今回の式典で「特別記念講演」をされる。しかも檀(村嶋)にも「支援の歌と話」を、との要請があったのでした。
こんな名誉な申し出ならば、感動あるものとして伝えたい、ならば阪神淡路から東日本の震災遺児への「心のケア活動」実践に
裏付けられた村嶋由紀子の話と、檀の歌声との組み合わせてこそ説得力ある報告と考え、2人での九州行きとなりました。
2.素晴らしい「アフガンでのボランティア活動」に感動!!
同窓会は予想人数をはるかに超えた140名もの参加者となり、会場一杯が<67歳の集い>となりました。
そしてやはり一番の感動は、中村哲氏による特別講演でした。『ペシャワール・アフガンとともに30年』と題して、
スライドを交えて中村氏の話はなされました。
中村氏はお医者さんで、「ハンセン病撲滅のための国際医療団」として、アジアの西端の「アフガニスタン」に入ったのが
1984年のことだったそうです。でも医療の前に、<貧困>が横たわっており、貧困の元凶が<干ばつ>であり、
そのため<用水路>を作る作業をすることになり、「お医者さんが聴診器から、重機を握る」ことになった経過が話されました。
その地の人々に根付いた活動をしていなければ絶対にたどり着かない結論です。またたとえその結論がわかったとしても、
実際その地に身を置いて実践するなんてことは、普通の人では在り得ない選択肢です。無報酬どころか、日本に帰っては
「アフガニスタン」の現状を報告して、何億という支援金を獲得する活動をする、多少の資金の苦労を知っている私たちには、
何というすごいことだろうと絶句してしまうほどの行動力です。そして話の最後には、何万ヘクタールという砂漠の地を「緑の畑」に
変身させたスライドの登場です、この写真こそ何十万という人の生活と命を救った事実を見事に証明しているのでした。
緑の大地のスライドに、うわっという歓声が会場に広がり、感動で胸を震わせなかった人は一人もいませんでした!!
3.東北の声、九州の人たちにも伝えたよっ!!
私たちは「特別講演」の会場から、「各クラス」ごと座る宴会会場での発表でした。
同窓会ともなれば久しぶり(50年ぶりの人も)の再会、さぞかし談笑に花を咲かせたい、ビールも飲みたいだろうと思う前の時間帯でした。
でも私たちの報告に何と熱心に耳を傾けてくださったことでしょうか。時に涙を拭きながらうなづいてもくださいました。
話は震災遺児の心の中を中心に、「生きる」ということの意味を見つけていく実際の実践の話、<1月公演>の映像、
そして何より、檀(村嶋紀久男)の「奇跡の街」と「おらぁこごがいい」の熱唱!!時間こそ15分でしたが、
中村氏の話と同じように聞き入り、そして33枚のCDに対して、8万2千円ものカンパをいただきました。
ご協力、本当にありがとうございました!!
中村氏もその後、「何か自分で役立つことがあれば」という話をくださいました。
この言葉に「世界のボランティアの中村氏」をお招きした私たちのコンサートをしたいと、より強く思いました。
4.広島被災地、視察報告
この九州旅行の4泊5日の日程の最後の日は、広島に立ち寄ることにしました。
この間の土砂災害で犠牲者72名、未だに行方不明2名の方を捜索中の広島です。
ついこの間、原爆記念日に<灯篭流し>に参加し、「すべての被爆者とすべての被災者の平和と安全」を祈ってきたばかりでした。
広島入りは翌日の9月8日、ものすごく暑い日となりました。安佐北区の「上八木(かみやぎ)」というところに降り立ち、
被災地間際まで視察しました。立ち入り禁止地域に警官が立ち、そこからでの写真となりました。
3年前の7月に東北被災地に行った時の感覚を思い出しながらでした。ただ、地滑りの被災地が限定的で、
あの東北の時の「360度の荒野」というのと違っていました。また「どなたにも会えなかった」というのとも違い、
何人ものボランティア人たちの列も見かけ、周囲の泥も見える限りではすでに片付けられていました。
でも山崩れの危険は存在し、今後も苦難される方々の「被災者の孤立」を意味することになるのではとも思いました。
この地域の苦難を忘れないでおこう、という思いで帰路に着きました。
中村氏の話は世界の遠くの地の苦難を伝えることです。私たちもそれよりはスケールの小さな話ではありますが、
東北の苦難を全国に伝える、ということです。そして阪神淡路の20年前の時代を越えての思いも伝えていきたい、
「伝える」は「忘れない」ということでもあります、これからもこの姿勢でがんばっていきたいと、この旅を通して強く思いました。
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